先日、将棋界の大功労者である加藤一二三九段が逝去され、多くの関係者・棋士が追悼の言葉を寄せられていました。
その中で特に印象的だったのが、藤井聡太竜王名人のコメントです。
日本将棋連盟公式HPに掲載された追悼文の中で、藤井竜王名人は次のように述べています。
「この度の訃報に大変驚いておりますが、安らかに天に召されられたことと思います。
長きにわたり将棋界を代表する棋士としてご活躍されたことに深く敬意を表するとともに、信念を貫く姿勢を直に学ばせていただいたことに改めて感謝を申し上げます。
心より平安をお祈りしております。」
このコメントを見て、私は「さすが」とほとほと感服いたしました。
加藤九段は敬虔なカトリック信徒として知られており、「安らかに天に召され」といった表現はキリスト教の死生観に沿った言葉選びであるといえます。
キリスト教では、死は「神のもとに召される」出来事であり、「冥途」や「成仏」といった概念とは異なり、一般的な「ご冥福をお祈りします」では、厳密には教義的に少しズレが生じるからです。
とはいえ「ご冥福をお祈りします」は日本社会で最も一般的な弔意表現であり、相手を思う気持ちがあれば十分に成立します。
通常、故人の信仰までを把握することは難しく、慣用表現としての「冥福」が悪いわけではありません。
ただ、いくら将棋が強いとはいえ若干23歳の青年が、訃報を受けるやいなや、このように相手の宗教的背景にも配慮した言葉を(おそらく意図的に)選ばれていることにまず驚きました。
また、そういった宗教的・形式的な言葉だけではなく、追悼文の中でちゃんとご自身の言葉で故人の功労を称え、実際の体験から何を学んだかを具体的に記し、加藤九段に対しての敬意と感謝を素直に綴られている点についても、非常に行き届いた追悼の文章だなと感じました。
私は「形式に囚われずに自由にお葬式を」といったコンセプトを掲げて葬儀社をやっているのですが、形式に囚われないということは、決して形式を無視したり軽視したりすることでは無く、十分にそれを理解して踏まえた上で、いかに「自分らしさ」「その人らしさ」を表現していくかということかなと、改めて自身の職業観を見つめなおすきっかけにもなりました。



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